本日、4月6日は先代大豊和尚の実父(つまり私の祖父ですね)、無韻軒大箴和尚の命日です。先代大豊和尚は養子でしたので、大箴和尚は善信寺住職ではありません。久留米市にある円通寺という寺の住職を務めておりましたが、そこは孫(つまり私の従兄になります)に譲り、浜松で亡くなりました。「無韻軒」という名称が示すように、いわゆる「一枚持っている」という方で、佐賀県の円通僧堂の摩訶軒 森永湛堂老師と兄弟弟子であったようです。先代大豊和尚もそのご縁で、湛堂老師の下で修行いたしました。
大箴和尚は普段は布教師としても全国をまわるような生活をしていたとか。また多芸に秀でた方で、写真の文殊菩薩は、大箴和尚の作です。1センチ真角の竹に般若心経を一巻、彫ることができたとも聞きました。俳句の腕もなかなかであったそうです。
その大箴和尚が亡くなる前日、つまり4月5日に、私が天龍僧堂に掛搭(入門)いたしました。掛搭してすぐは身内不幸でも帰省することはできませんし、父は私には知らせもしませんでした。私が祖父大箴和尚の示寂を知ったのは、掛搭してから3か月経った後、父からの手紙によってでした。その手紙はもう紛失してしまいましたが、「尊公を見送りて後翌日に、もう一件、悲しい別れがありました」という文面は記憶に残っております。息子の僧堂生活を案じ、また同時に父親を見取るというのは、精神的になかなかきついものもあったことでしょう。そのとき父は55歳で、今の自分よりも少しだけ若かったんだと思い、今の自分のことであったれば…、などと考えたりもしてしまいます。