先日、息子を定期検診のために静岡市のこども病院に連れて行きました。毎回、2時間の点滴が必要で、今回もお願いしましたが、途中、どうしてもトイレに行きたくなります。その都度針を外していくわけにもいかないので、キャスターの付いた点滴台を引きずってトイレに行くのですが、やはりちょっとこわいので、広めの介護トイレに私も一緒に着いて入りました。その際にしゃがんでいたら、息子がちょっとした発作を起こしてしまいました。二か月に一度くらい出る程度の発作なのですが、私が横にいなかったらきっと彼は困ってしまったことでしょう。処置をして無事トイレを済ませることができました。
このときにつくづく、「あぁ、息子は守られているのだなぁ」ということを実感いたしました。
「守られていればそんなときに発作は起きない」と考えることもできるとは思います。でもやはり起きるものは起きるんですねぇ。そのときにたまたまそばにいた私が手を貸してあげることができた、そういう人が間近にいた、ということが守られているということなんです。
人間、誰にだっていいことも悪いことも起きますよね。運・不運によって程度の差はあるでしょうけれど、悪いことが全然起きないなんていう人はいないと思います。起きてしまったときに、自分で解決できるか。できなければ身近に手助けしてくれる人がタイミングよく現れるか。そこに「守られている人」と「守られていない人」の差があるように思います。
ではどうしたら「守られる人」になれるのか。それは「徳」を積むことでしょうね。「徳」の積み方は人それぞれ。